東京都伝統工芸品指定
江戸鼈甲 伝統工芸士 『仙翠の世界』

仙翠の歴史
 
明治二十年創業(有)松仙べっ甲製作所
代表取締役: 松本 巖(號 仙翠)
所在地: 〒272-0034 千葉県市川市市川2-20-1
TEL: 047-325-2166
FAX: 047-322-9100
E-mail: matsusen@crux.ocn.ne.jp

■日本の玉型の原型を作成■
  メガネフレームはその昔、寸五や五零番と玉型寸法を表現していた。しかしそのレンズ径は職人によってまちまちだった。 東京眼鏡製造販売同業組合は規格作りの為専門委員会を設置、当時築地明石町のエースクラウン商会から玉型を取り寄せ、玉型の原形作りを松本仙太郎商店の創業者松本仙太郎に指示そして全国統一の規格が出来上がった。その事柄は現存する原形に名が刻印されていることで判り、又東京眼鏡レンズ史に記されている。
   松本仙太郎商店は明治二十年、東京都本所區林町(現在の墨田区立川)の地で創業。眼鏡全般、双眼鏡、べっ甲枠、潜水眼鏡、レンズ等の製造、卸、小売りと幅広い事業を展開していた。 創業当初は赤銅を初めてフレームに応用したことで知られ、その斬新なデザインで、その後の赤銅製フレームへの火付け役となる。 事業に対する努力は小売面でも発揮され、東京で初めて眼科医を常駐させた販売を展開する。今でも当時使用された検眼の道具が残されている。
■第二次創業■
  昭和二十年の東京大空襲で本社を焼失、現在の所在地千葉県市川市へ移し再出発をする。 その頃は松本茂が二代目を継いでいた。再出発を期にセル枠製造に重点を置いた。当時セル枠製造は量産時代に入っていたが、私どもは生地を一枚一枚糸鋸で引く一枚物の別作品に特化した。その為外人や芸能人のメガネを数多く手掛け、中でもレイチャールズが来日した時同じデザインで六枚も注文され製作した。
  現社長三代目松本巖はすぐ家業を継いだ訳でなく、メガネ製造の技術を修得する為、メガネ生産地の福井へ修行に入った。特に大量生産にかげりが出ていて、すでに大手では生産調整に入っている現場を目の当たりにする。 福井の現状から、首都圏でのセル枠製造は断念するしかなかった。そして製造分野の一つであったべっ甲枠製造に望みを託し、再度べっ甲の修行に入った。

■第三次創業■
  昭和51年頃からべっ甲枠製造に本格的に入り昭和58年、有限会社松仙べっ甲製作所を改組すると同時に代表になり、第三次創業を迎えることになった。巌は三代目を継ぐことは自らが望んでいたことだった。子供心に父親が有名人のメガネを作っているなんて本当にかっこいいと思っていたので、父と同じ仕事をしたいと考え、厳しい職人の世界へ自ら新しい職人を目指して家業を継いだのです。

   べっ甲眼鏡枠の一部分に象嵌や螺鈿の技法を用いてべっ甲の色の組合せで模様を施している。現在はべっ甲の色にない彩色を染色する事でいままでにないデザインで作品の巾を広げています。たとえばイニシャルを模様として入れる技法等、此れ等恐らく私しか出来ない。 この様な他にはない技術、技法で創作する心構えで全ての製品製造に取り組んでいる。その作には『仙翠』の號を印し、細工を施した創作べっ甲フレームには優れた技術の証しである工芸品鑑別書をつけている。

私の信条は“遊びの心”

創作作品には常にと考え御使用される皆様に心のゆとりを届けられればと願っております。

 
伝統工芸品に遊びの心を入れて創作

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